“本物”の

バルセロナで過ごして3ヶ月半、語学学校では一つの区切りがついたような時期だった。

同じクラスでずっと一緒にやってきたドイツ人の子が帰っていった。その前にはめちゃくちゃ優しくて気の良かったおっちゃん。そしてもう少しするともう1人。

 

少しの言葉で

みんなこの3ヶ月で仲良くなった人たち。

何でも伝えられるほどのスペイン語力は当然お互い持っておらず、向こうは英語を話せるがこちらは小学生みたいな英語。それでも全然コミュニケーションは取れていたし、一緒にふざけていればすぐに仲良くなれた。

必ずしも言語が満足じゃなくても、言葉が通じなくても人と仲良くなれることは日本を出て初めて知ったことだ。

 

最後の日

最後の日、クラスの先生が泣いていた。

 

気の良い、ちょー面白いドイツ人の18歳の男の子。寿司が大好きで毎日スーパーで買って食べていると言っていた。ある日は焼きそばを食べたことを報告された。言葉端から漏れ出るお金持ちエピソードはすげー面白かったし、でも全く鼻につかないし、ガキみたいなことを言いまくるくせに知識教養は立派。パーティーが大好きで、勉強もしっかりする。適度にサボって遊んで。友達は多そうだ。

最後の日の前日はクラスのみんなでランチに行って、最後の日はみんなでハグして別れる。俺はガッチリ握手。

 

登校中

金曜日に別れて、今は月曜日の朝。登校中のバスの中で書いているが今日から彼がいないとなると何か不思議な感じだ。

この別れは日本で人と別れるのとは明らかに違う気がした。言葉の通じない、チャットをするわけでもない、授業でしか会わないし、3ヶ月しか一緒にいなかったが、しっかりと別れを感じた。

もう一生会わないかもしれない。お互いすぐ忘れるかもしれない。でも絶対にいつか思い出す。なかなか初めての感覚だ。

 

よく世界のいろいろなところに旅行に行くと言っていたし、寿司も大好きだったし、きっと日本にもいつか来るだろう。きっとその時は連絡してくれる。

 

ハンブルグに行く時は報告しよう。

バルセロナ留学始まり!

始まり!と題したが既に2ヶ月以上が経っている。

未だにスペイン語は全然話せないし、聞き取れるのも5〜6割くらいだろうか。

 

まだまだわからないことばかりだが、わからないなりにこの2ヶ月でいろいろなことを感じた。日本とは環境が違いすぎていて比べることができないくらいだ。

サッカーにおいてはまさに全く別物だ

 

 

バルセロナの生活

生活についても今のところは特に目立った不便はない。そりゃ日本に比べれば細かい不便は多少あるが、些細なことだ。

もちろん言葉も全然話せないのでそれは不便だが、それを上回る発見の楽しさがある。

なんとなくだが、バルセロナの雰囲気は自分の肌に合っているとさえ思える。

まぁ、今はホームステイで自分でご飯を作るわけでもないし、洗濯物もホストマザーがやってくれるので、楽しいこと、自分のやりたいことだけができているからそう感じるのかもしれないが。

 

 

サッカーが中心の生活

今はまさにサッカー漬けの毎日だ。平日は毎日語学学校があり、月水金曜日の午後は練習。週末は練習に帯同している2カテゴリー(カデーテAとフベニールA)のリーグ戦を見に行って動画を撮り、練習がない日はリーグ戦の動画を見て動画の編集、試合の分析をして監督に渡す。監督から同じグループの他のチームの偵察を頼まれてリーグ戦を見に行くこともあるし、動画を渡されて分析することもある。

まだコーチとしての仕事はもちろんできないが、このチームの監督は珍しく、言葉も全然話せない僕にも何度か「来週、何か練習やってみてよ」と言われてやらせてくれたこともある。

仕事をたくさんくれるのはスペイン語向上のモチベーションにもなるし、とてもありがたいことだ。

 

 

2ヶ月

ここに来て2ヶ月が経った。地球の裏側には面白いことがたくさんあった。そのまま日本にいたら出来なかった発見が山ほどある。不満より10倍の楽しみがある。しかしまだ始まったばかりだ。

 

生活のルーティンはある程度できてきた。

 

やるべきことがたくさんある。

 

考えよう

 

悩もう

 

楽しもう

 

これから出会う新しい発見にワクワクしている。

 

 

 

 

 

 

無犯罪証明書の申請はどうすればいい?

留学をするにあたって無犯罪証明書が必要だったのですが、調べてもあまり出てこない。

警視庁のホームページには載っていますが、警視庁なんて行ったこともないし、何するの?どれくらい時間がかかる?と疑問に思う人もいるんじゃないかと思いメモしておきます。

 

最初に具体的にいうと申請は10分もかからないくらいで完了しました。

 

警視庁に行く

無犯罪証明書の申請をするためには警視庁に行く必要があります。警視庁の住所や行き方はホームページでわかるので割愛。

僕は桜田門駅の4番出口から行きました。4番出口でとりあえず地上に上がりどこだろうと思ってキョロキョロしていると右後ろに警視庁の入り口があります。

警備の警察官の方が1人立っていたので「無犯罪証明書の申請はここでいいですか?」と聞いたら大丈夫です。中の受付でもう一度要件をお願いします。と言われたので入っていきました。

物々しい雰囲気で無駄に少し緊張しましたが、検温をして受付の人に無犯罪証明書の申請で来ました、と伝えると担当の方に来てもらうまで待合室で少し待ちました。

そのあとすぐに渡航証明の担当の警察官の方が来てゲートを入りアルコール消毒。

渡航証明のための部屋に行きます。

 

申請のためにすること

非常に簡単でした。

最初にパスポートと身分証(自分の場合は免許証)、証明書発給の必要性を示せる書類の3点を提出します。

自分は学校の入学証明書をスマホの画面でそのまま見せました。

そして住所氏名など書いて提出し、次に指紋を取ります。

左手と右手の親指以外4本を取ってから、左右の親指、のちに指1本ずつ

指紋を取り終えたら申請は終了です。

 

証明書自体は取りに行くか、郵送で貰えるそうです。

自分は自身で受け取りに行くことにしました。

 

どれくらい時間がかかるのかわからなかったので余裕を持って行ったのですが、平日の昼間ということや、この情勢だからか、待ちもなく全てスムーズに終わりました。

 

時間が余ったのでファミレスにでも寄って時間を潰してから今日のスクールに行きたいと思います。

迷走

「勇気を持ってプレーしろ」

「逃げずにチャレンジしろ」

具体的なアイデアを持たない子ども達に言ったところで何になるのか。練習していないことを試合でどうやれというのか。

ハタから見ていてかわいそうだとすら思える。

 

練習試合

小学5年生。普段の練習は担当していないので試合の週だけその子たちのプレーを見ることになるのだが、何も成長していない。毎回ひどい負け方をする。負けから得ることがない。何も修正がされていない。どんな練習をしているかわからないが毎回同じような負け方をする。

担当コーチから出る言葉は抽象的。

「逃げるな」

「勝負しろ」

プレー原則やコンセプトなんて概念は皆無。

それが全てとは言わないが、少なくとも子どもたちがサッカー選手として向かう指標となるだろう。

しかし、選手達が何を考えているのかはわからず、パスもドリブルも向かう方向はバラバラ。挙げ句の果てにラッキーで抜けたボールから点を取ってしまい「ナイス」「点を取れたことは良かった」

それが悪いと言っているのではない。悪いと言っているわけではないのだ……

 

「パスをしたら逃げるなと怒られる」

チームはゴールキックやキックオフで、必ずショートパスからのスタート。しかしその後のことは何も決められていない。全て相手に取られる。誇張なく全て。毎回同じ形でボールを受けた人がコントロールミスをするかパスミスをする。

見かねて子ども達に、周りがパスコースを作って簡単に預けてプレッシャーを回避すればいいのではないか?と提案してみた。その返しがこれだ。

「簡単にパスをしたら逃げるなと怒られる。」

何かおかしいと気づいてはいた。1人がボールを受けると必ず周りから一斉に「ドリブルー!」という声が出るのだ。受ける場所がサイドでも中でもディフェンシブサードでもどこであってもそうだった。

チームのコンセプトがそれで、どこでも全員がドリブルを始め、普段からそういった練習しているならわかる。ドリブルに特化してドリブルを強化して試合でもそうする。それならわかるが、全くそうではない。ロングパスの練習から始まり、試合前のアップではポストシュートをする。

それなのに試合になると突然、ドリブルをしないといけない(と思っている)。

この場合本当にドリブルをしろと言われパスをしたら怒られるのかどうかは問題ではない。少なくとも子ども達にはそう伝わっているのだ。

子ども達の「怒られる」発言を聞いてから真偽も真意もわからず驚いてしまったので、慌てて『「パスをする」ことと「パスをさせられる」ことは違う』と言ったがこれは多分伝わってない。諦めてしまった。その日何を言ったところで意味がないと察したが、それは自分の能力不足も踏まえてのことだ。

 

この子たちには積み上げてきて得た何かがない。何も持たずに負け戦に駆り出されている。器用貧乏にすら成れていない。

自分たちが「何ができるようになったのか」がわからず、何をすればいいのかがわからない。

「頑張る」「声を出す」「走る」「戦う」

そんな言葉遊びだけでサッカーはできない。

 

 

「迷走」

フィールドにはこの2文字だけがフワフワと浮いている

 

 

 

 

練習中のゲームに課す条件の話

昨日スクールの練習をしていて気づいたことを書こうと思います

 

子どもたちが大好きなメニューはなんといっても試合。毎回の練習の最初にアップするわけだが、「次何の練習しようかなー」なんて枕詞を口に出せば子どもたちからはいっせいに「試合!」と返ってくる

 

マンチェスターに指導者留学にいった友達と練習メニューの話もよくするが、イングランドの練習では、ほぼゲームの形で練習を進めていくそうだ。それの良し悪しは置いといて、世界的にはもうボールを使わない練習や、クローズドスキルに寄った練習メニューにはあまり重きは置かれず、いかに試合に近い状況の中で練習するかが考えられている

 

 

5,6年生の練習。例にたがわず練習の最後にゲームを行った昨日の練習だが、終わった後に一人の子から

「今日のこっちチームの連携なんかいつもよりよかったよね」

という声が聞こえてきた。

確かに良かった。要因はわかっている。昨日はいつもと違うことをしてみた。ゲームに条件を付けたのである。特に高いレベルを目指しているスクールではないので、張り詰めた雰囲気の練習ではないのだが、昨日は個々にボールをもらおうとする動きや、ボールを奪いに行く動きが格段に良かった。

 

課した条件というのが

「5本パスをつないでからでないとシュートを打てない」

というだれもがやったことがあるだろうシンプルなもの。

しかし始めてみると、その条件の意味を、僕が全く理解していなかったことが分かった。

そしてそのバリエーションについても。

 

特別なことではなかった。広めにとったコートで3対3+フリーマン。子どもたちが遠いところからバカスカシュートを打っては外すのでつまらないと思いそれだけの理由で、課した条件だった。

最初は10本にしたがそれだとゲームスピードがやけに遅くなったので5本に変えた。

サッカーIQが高い集団ではないのでパスの受け方やパスコースの作り方について考えながら動いたり緊急のサポートをしたりする動きはなかったのが前回の練習まで。今回はパスをつながなければならないので、サポートや、味方を見て、使う意識がついた。そこまでは予測していた。

 

 

最初は5本パスをつないでも相手に触られたらリセットするというルール。

まず気づいたのが、5本パスをつなぐ制約を付けたことで素早いリスタートの意識がついたことである。相手が準備する前に早く5本のパスをつないであとを自由に攻撃しようと考えたのだ。今まではだらだら再開しがちだったゲームに少しスピード感がついた。

もう一つが面白い。「相手に触られたらリセット」なので、ボールを奪ったら、5本目をラストパスにしてシュートするような、速い攻撃で、相手に触られる前にゴールへ向かおうとしたのである。これはまさにカウンターアタックの原理だった

しかし、これでまたゲームスピードが速くなる。奪った後の素早いリポジショニング、緊急のサポート、これらを繰り返すことで子どもたちは一気に疲れていった。ボールを受けようとする動きは徐々に減っていき、パスは5本も回らなくなっていった。

 

休憩を入れて後半。またルールを変える。

5本の制約はそのまま、リセットする条件を変えた

 

「相手に奪われた後その相手がパスを1本でも通したら自分たちのパス数はリセット」

 

「相手が触れたらリセット」のままだと全然シュートまでいかなくなってしまったので緩くした形だ

これがまた面白かった。今度はボールを奪われた時の動きが変わったのである。

自分達からボールを奪った相手選手がパスをつなごうとする前に積極的にボールを奪いに行ったのである。普段のゲームではそんなインテンシティを見せるような子たちではないのだが(笑)今回の条件を付けたことにより相手がパスを通さないうちに奪い返して自分たちのボールにすればリセットされないことに気づいたのである。

 

これはあれだ。まぎれもなくゲーゲンプレッシングだ。

 

また、ボールを奪われた選手だけでなくほかの選手もパスコースをつぶしに行く動きをしていたことが印象的だった。もちろん予防的マーキングなどそこまでは考えていないだろうが、これは、ボールを奪われても積極的に主導権を握りにいく現代サッカーの振る舞いそのものなのではないだろうか。

そしてボールを奪い(奪い返し)、味方に素早く預ける。これは無理をせず、まず落ち着いてボールを自分たちの支配下に置こうとする良い流れである。

 

以上が昨日のゲームで起きたことである。

 

この状況がうまく創り出せた要因は

・コートを人数に対して広くとったこと

・3人チーム+フリーマンにしたことで、最小単位の人数でチームを作り、フリーマンを使って数的優位を作り出せる状況だったこと

 

があげられると考える。

この練習は今後積極的に使っていきたいと思った。

最初はただ何となく課した条件だったが、成り立たせるために必要なことを明確にしていくことでこれは非常に有効な練習になることが分かった。バリエーションによって練習が全く異なる姿に変わっていくことも覚えておきたい。

ブログ初めてみます

サッカーノートを共有したいな

そう思ったのがブログをはじめようと思ったのがきっかけです

 

昔、交換ノートってありましたよね、小学生くらいの時。何書いてたのかはさっぱり覚えてないけど。サッカーについてつらつら書いたことについて誰かと共有してあわよくば誰かとちょっと語りたいな、なんて思いつきですがやってみることにします

三日坊主なのですが頑張って続けたい。誰かの需要だとかそんなことは考えずただ自分の頭の中を整理したりあとで見返すために書きたいと思います

 

サッカーの指導者をしています

サッカー好きが高じてサッカースクールと小さな少年サッカーチームで指導者をしています。指導を始めたのは4年くらい前かな?指導者になりたいと思ったのは多分中学生のころ。明確にこれってきっかけがあったかどうかは微妙なところ。

 

小学生の頃はみんなプロサッカー選手を目指してた。中学生にもなるといつからともなく各々が現実と向き合いプロを目指す人は周りにいなくなっていた。そして自分もそのうちの一人だったのかもしれない。

小学生の頃はめちゃめちゃうまかった自負がある。今そんなこと言ってもしょうがないけど。でもプロになるには努力が圧倒的に足りてなかった。控えと競うことがない小さなチームでやってたこともあるかもしれないが、井の中の蛙が天狗になる地獄の様相。井の中の天狗。

 

中学に進学するとサッカー部に入った。外部指導者が二人いた。そのうちの一人が後に僕の人生に深く関わってくる人なんだけど。まあ続けてたら今度詳しく書こうと思う。

 

高校は強いところに入った。直接名前は書かないけど、一流の指導者、スタッフ、ちょーうまい高校生がいっぱいいた。そこで自分が井の中の蛙だったのを完全に思い知ることになったし、いろんなことを学んだ。

 

中学の頃の指導者にも言われたが、高校では特に言われたことがある。

「コンスタントにできる選手しか使えない。プレーやメンタルに波があるお前は使えない。」と。

自分でもなんでだかわからないくらい波があるのがわかっていた。めちゃめちゃやる気があるときは頑張れるのに、何かきっかけがあるとなのか、調子が悪い日はとことん悪く、それに伴ってメンタルも死んでいく。逆もしかり。結局は自己管理ができていなかったということなのだろうが性格上の問題なのか、うまくいかなかった。

そのなかでだと思う。そういった選手を自分が指導者ならどう接するのか考え始め、そんな時に本格的に指導者の道を見つめ始めた。

 

まあ今日はそんな話

こんなに長く書くつもりはなかったのに思ったことをそのまま文にしてたらひどい駄文を生み出してしまった。まあ今日は具体的なテーマがあったわけじゃないから指導者になった経緯というか軽い自己紹介みたいな感じで書いてみた。試し書きみたいな感じ。

あ、今日はエヴァートンリヴァプール観ました。

リヴァプールの本を読んでから初めてリヴァプールの試合を見たのでなんかいつもと違った視点で見れたような気もします。

 

これからは、少年サッカーの練習とか試合の分析とか総括をしたり、もちろんプロの試合もね。自分がサッカーした時にも何か感じたら書きたいな。「言語化」の練習を兼ねて(?) サッカーの本読んだりしたらその感想とか。

 

間違いに関してはあまり気にしないで思ったことをかこうと思います。間違いに気づくことを大切にします。あんまり無責任なことは書かないようにしますが。

 

あ、1時半からアーセナル対マンCか。楽しみですね。

 

では。